販売員を10年経て、フリーランスSEを目指す!さにーの奮闘記

アクセサリー作ったり プログラム勉強したり

プロフィール(前編) --- アクセサリー制作前 ---

どもー!

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 さにーですー!

  

 自己紹介

名前      :さにー

年齢      :33歳

好きなこと・もの:食べる、飲む、古着、アクセサリー

理想の休日   :美術館に行く、いい音楽を聴く、勉強する、旅行

理想の私    :本、映画、音楽、食、歴史、経済に詳しく、

         どんな人を相手にしても、楽しませることができる

         知識と感性を持った心のあたたかい、おちゃめな人

できないこと  :我慢

頑張りたいこと :教養を養う

目指していること:ノマドな生活

         夜景の見えるマンションに住む

         英語を駆使してグローバルに働く

         顧客と直接話せる仕事に就く

 

さらに詳しいプロフィールはこちらです。よかったら読んでね。

 ↓

 

 

保育園 --- お母さんの、送り迎えが苦痛 ---

 

私は、日本人の父と、タイ人の母から生まれました。

 

ハーフは、今となっては当たり前かもしれませんが、

その頃、私が通っていた保育園は、私だけだったような気がします。

 

送り迎えは、母にお願いしていたのですが、登園時は他の園児もたくさんいるので、

「あ、さにーのお母さん、日本人じゃないんだ」と知られることになります。

 

そして気がつくと、男の子にいじめられるようになりました。

 

「やーい、がいこくじーん!」

 

そしてその呼び名は次第に、謎に、変化をとげ、

 

「やーい、がいこつじーん!!」

 

となりました。

 

 …この際、どっちでもいいわ!!

 

でも、もちろん、その頃の私は、そんなツッコミができるはずもなく、

いじめられる原因となる母と、一緒にいることが嫌になりました。

母とは、いつしか距離をとるようになりました。

 

 

小学生 --- みんなに愛される人気者!…に憧れる内気な少女 ---

 

 保育園ではハーフであるため、散々な目に遭った私は、

小学校に上がるとき、純血の日本人を演じようと決意します。

 

名前を変えるのです。

 

日本名を考え、その名前で学校生活を送れるよう父に懇願。

 父は学校にお願いしてくれました。

(今思えば、なんてありがたかったんだろう…

 お父さん、改めてほんとうにありがとう!)

 

そのおかげか、低学年のときには、いじめられることはなく 、

内気ながらも、それなりに楽しく過ごしていた記憶があります。

 

ただし、高学年にあがるとふたたび…

 

今度はハーフと関係なく、女の子どうしでありがちな、いじめが始まりました。

ターゲットになった私は、グループから外されます。

 

体育や、美術、理科の実験など、移動がある授業のときは気がつくと独り。

休み時間も独り。まわりでは、こそこそと悪口を言われます。

 

 振り返ると、原因は私にもあったと思いますが、

まだそのころは自尊心など生まれてないので、ただただ、辛かった思い出でした。

 

そのうち、私なんて居なくなればいいんだ。死にたいと思いました。

 

ただ、幸いなことに、私には親がいました。

両親の愛情は感じることができたため、こんな私でも死んでしまったら

二人は悲しむだろう。と思えたので、死ぬことに対して

本気になることはなかったと思います。

 

 

中学生 --- ポケベルの時代 ---

 

初の部活動!バレー部に入部!するも、目の悪さで先輩を気づかず無視。

目をつけられて、怯えてすぐに退部。笑

 

帰宅部になったので、放課後は自由で、仲良くなった帰宅部のカオリちゃんと、

自転車で二人乗りして近くのカラオケに行き、変顔でプリクラをとることが楽しみ。

 

カオリちゃんは、ちょっと不良っぽい女の子で、

不良と言えば…というようなことを一通りやっていた気がするけれど、

私はその子とだけ、なぜか純粋に仲良くなっただけでした。

 

ただ、そのカオリちゃんとの関係にヒビが入る出来ことが起こり、

それから連絡をとらなくなりました。

 

それはある日のこと、カオリちゃんに誘われ

近くの川でクラスの男女が10人くらい集まって遊んだ時でした。

 

 私の記憶だと、その場にいない、クラスのある女の子のことをどう思うか?

ということをしつこく聞かれる、という意味不明のやりとりがありました。

意味はわかりませんが、私の口から、その子の悪口を言わせたい感じでした。

あまりにもくだらないので、私はイライラがつのり、そのうち川に向かって暴言を

叫び始めました。「バカヤロー!」とかだった気がします。笑

 

他にもいろいろあったような気がしますが、気がつくとみんなに置いていかれ

またもや独りに。笑

 

そのあとが大変でした。

ポケベルに送り主のわからない、私への悪口が届くようになります…。

「シネ」「オマエハクラスノゼンインカラキラワレテル」とか。

 

いろいろあった気がしますが、一番印象に残ってるのはそれです。笑

そんなことがあったので、その場にいたメンバーとは気まずくなってしまいました。

(ただし、今となってはもうどうでもいいので、同窓会があると参加します。

 仕事やら、なにやらで最近行けてないけど…。)

 

 

高校生 --- 母に対する心境の変化…古着への目覚め ---

 

この頃になると、ハーフであることは羨ましいと言われるようになります。

そのおかげか、母と一緒にいることが嫌だ。という思いが薄れていきました。

 

ただ…母と一緒に出掛けることは、恥ずかしかったのです。

なぜなら、服のセンスがひどい。笑

デパートに行くとなったら、ティアドロップのサングラスに蛍光オレンジのスーツ!

しかも、おデブちゃんなので迫力がすごい。笑

普段着でも、ヒョウ柄のラメ入りジャージー素材で…

虎のプリントがどーん!!スパンコールばーん!!スワロフスキーピカピカ!!

みたいな感じでした。笑

 

そんな母でしたので、おでかけすると、心無い人がヒソヒソと悪口を言うのです。

「なにあのかっこー!すごいね~」って。

まぁ、そう言われても仕方ないくらい目立ってたのだと思いますが…。

 

そんな母はある日、日本語がカタコトながらも、お惣菜屋さんでバイトを始めました。

家で独りでいても寂しいし、働くことに生きがいを感じるタイプの人でした。

しかし、仕事は丁寧だったものの、要領が悪く仕事が遅いので、

パート仲間に悪口を言われたり、日本人の友達は作れなかったようで、

結局、悲しい思いをしていたようです。

 

そのあたりから、一緒にいると恥ずかしい。と思っていた、母に対する思いは、

いつしか「私が守らなくちゃ。」という気持ちへ変化していきました。

 

学校生活はというと、中学生のときに、部活動を辞めてしまったことを後悔していたので、高校こそは続けてやる!と意気込んでいました。

そして、友達に誘われるがまま吹奏楽部に入部。

全く楽器について知らない私は、「吹きやすいからとりあえず」

という先輩の声に従い、ユーフォニウムというマイナーな楽器を吹くことになります。

 

だんだん、楽器の面白さを知っていくなかで、

「二年生になったら、花形のトランペットかサックスを吹きたい!」と心に決め、

華々しくソロパートを演奏する自分を想像しては、目を輝かせていました。

 

ところが事件が…

 

入部しようと、音楽室の門を叩いてきた1年生が続けざまに、

「トランペットが吹けるなら入部します!」「サックスが吹けるなら入部します!」

と言いました。

 

吹奏楽歴がわずかしかない私は、そう生きてる長さの変わらない、

だがしかし、吹奏楽の経験は、明らかに私より長く、やる気あふれる後輩に完敗。

 

「じゃあそれでいいので入部してください。お願いします!」

としか言えませんでした。笑

 

後輩にとっても、先輩にとっても、私はゆるい人間でやりやすかったのか、

はたまた、私の代が3人しかいなかったからなのか、まさかの部長になります。

 

でも、ゆるゆるすぎて、笑ってばっかり、自由すぎる練習だったために

コンクールではほとんど受賞することができませんでした。

だめな部長でごめんね…。

 

ただ、プライベートでも後輩たちとは仲良く、

一緒にファミレスに行き、他愛もないことを話して笑った思い出などもあり、

私にとっては、いい仲間に囲まれて幸せでした。 

 

他にも、クラスではムードメーカーに恵まれました。

その一人が、内気な私に「文化祭でえっさっさを踊らない?」

と誘ってくれたおかげで、そこでも、たくさんの仲間ができました。

 

ばっきばきの筋肉痛になりながらも(筋肉痛とは思えないくらい痛すぎて、病院にまで行った)練習では恋バナをしたり、一人だけうまく踊れない気がして、

泣き出しては励ましてもらいながら(というか「泣いてるーうけるー!」とか、

笑われながら)いい思い出を作ることができました。

 

本番では、お揃いのはっぴを着て、さらしを巻き、体育用の短パンを限りなく短く折って、髪をアップにしてばっちりハチマキをし、赤い紅をさして、「えっさっさ」とギャップのある見た目で演出もし、とても盛り上がっていたような気がします。

 

そして…その、えっさっさ仲間である、おしゃれな友達の影響で古着に目覚めます。

もともと、ムードメーカーで、ずばぬけて明るく、話も面白くて、

男女ともに人気者で、かわいかったのです。

 

 その子は、激安でリサイクルショップの服を買い集め、流行に関係なく、感性で服を選びます。そして、斬新なコーディネートをするのです。

その子は、私にとって、最高にセンスがよく、私の憧れでもありました。

 

 

専門学校 --- Macを駆使する?! ---

 

進学すると決めたものの、なりたい将来像が、全く見えていなかった私は、

父がデザイナーであったこと、当時はそれなりに絵が得意だったことで、

グラフィックデザインを学ぶことになります。

 

残念ながら、入学した時点で、興味はすでに服だったこともあり、

そこまで情熱を注げずに過ごしてしまいます。

しかも、私のように、高い授業料を払って、なんとなく美術学校に入りました。

というような、人生をなめてくさっている人は少なく、

美大を落ちて、仕方なく、専門学校に入学したという人もいたので、

特にデッサンの時間になると、その差は歴然としていました。

 

そうして「自分が絵が得意」という認識が、ボロボロに崩れていきました。

 

 

社会人 --- 販売員はじめました ---

 

服は好きだけど、学んだことはグラフィックデザイン

じゃぁ就職どうしよう…。

 

まずは、憧れの古着屋さんに直接足を運び、「働かせてもらえませんか?」

と直談判を決め込むことにしました。ですが、あっさり断られます。

理由は、経験者か、せめて服飾の学校に通ってないと、こちらも雇える余裕がない。

とのこと。そりゃそうだよなー。

 

もう、ヤケクソになり、オリジナルの洋服を扱う会社の、経理の仕事に応募。

会社は代官山とかだったと思います。なんて会社か忘れてしまったけれど、

印象深い出来事がありました。

 

その日、面接をしてくださった方は30代くらい男性で、すこし話しただけで、

物腰やわらかく、穏やかな人なんだろうなぁ。と思わせる人でした。

面接が終わった後、その方にこんな風に言われました。

 

「こちらとしては、あなたの人柄を見て、雇ってもいいと思っているけど、

 お洋服が好きならば、経理ではない方がいいと思うよ。

 好きなことをできずに、後悔はしてほしくないから、よく考えてみて、

 それでも経理をやってみたいと思ったらまた連絡をくださいね。」

 

初めて出逢った人に、こんなに優しい言葉をかけてもらえたことに驚き、

思わず感動。就職活動、もうすこし頑張ろう!と思えた出来事でした。

 

それから、自分なりに考えた結果、新卒のタイミングを捨てるのも勿体ないし、

古着がだめなら、既成服の販売員になろうと決めました。

そこで、とある百貨店の求人を見つけます。

 

そこでは、面接前のエントリーシートに、入りたい部署を第三希望まで記入し、面接をしていく中で、応募者にあった部署に配属される。という仕組みでした。

ただし、そこで服を扱う部署に入れたとしても、自分が売ることになるのは、その百貨店のオリジナル服で、コンサバなデザインでした。

私は、それでは服であっても意味がない。と思い。多くブランドや、デザインに携われ、お客様の層も老若男女と幅広く接客できる時計の部署を希望することにしました。

 

そして時計の販売員になるのです。

 

そこから3年…

 

友達の紹介で、衝撃を受けた洋服と出逢い、ここだ!!と運命を感じます。

そのショップは、ヴィンテージの古着や、民族衣装からデザインを起こし、

お店の内装も、見たことのないディスプレーで、唯一無二でした。

芸能人や、海外のデザイナーも来るような話題のお店だったのです。

 

すぐさま応募し、運よく合格!!

「ついに、洋服に携われる!」私はやる気に満ち溢れていました。

 

ところが数年経って、30歳を迎えるころ…心の葛藤がありました。

 

「このまま、体が資本の販売員で、一生働いていけるのだろうか…」

「洋服は好きだけど、売り上げを上げることを目的にしても楽しくない…」

「私から買ってくれる人がいるのは嬉しいけど、新作だからと言って

 すでに持っている同じようなデザインの服を勧めるは嫌だな…」

 

しかも、既成服は、数年前から流行が決められおり、それに沿って世の中に大量生産されています。さらに今は、SNSの影響で、流行は個々からの発信となり、さらに移り変わりが早くなりました。

 

わたしの興味も、移り変わりの早い洋服ではなく、インテリアや、アクセサリーなど、一生を通してそばに置くことができ、メンテナンスをすれば長年、永く愛せるものに移り始めました。

  

洋服が好き。という純粋な気持ちが、すこし変化し、 

洋服を仕事にする、難しさと不安を感じ始めたのです。

 

また、仕事で自分が対価としてもらうのは、数をどれだけさばけるか。という販売力ではなく、もっと技術的なものでもらいたい。と漠然と思うようになりました。

 

そこで、30歳を迎えたら、一生続けらる仕事に就こうと決意します。

候補にあがったのは、デザイナーかシステムエンジニアでした。

 

 

今・・・ 

 

縁があったのはエンジニアでした。

 

大きな転身ができたものの、右も左もわからず、なにか質問しようものなら「そんなのググったら一発で出るから調べて」と怒られたり、

質問すること自体が怖くなり、わからないことをどのタイミングで質問してよいのかわからず、とにかく渡された設計書に目を通そう!

と時間を潰していると、「わからないなら、ちゃんと質問しにこないとダメだよ!」

と怒られる。笑

 

そんな風に、日々奮闘しています。

 

 

■■■最後まで読んでくださって、ありがとうございます!■■■